私が、いつも行くスーパーで買い物をした時、777円の会計になる、という出来事がありました。
すると、普段はお話することのないレジの店員さんが、「ラッキーな数字ですね!」と話しかけてくれました。
実はその時の私はちょっと気分が落ち込んでいて、元気な時は喜んでいただろう数字に「ゾロ目か…」位しか感じていませんでしたが、店員さんが話しかけてくれたことで「そうだよな、なんかラッキーがあるかも」という気持ちになって、帰宅する頃にはちょっと楽しくなっていました。
しかし、帰宅して、買った材料でナポリタンを作ろうと思っていたところ、ケチャップを買い忘れていたのです。
普通なら、「あーあ…」なんて落ち込むところかもしれませんが、何となく、じゃあやったことないレシピで作ってみようと焼き肉のたれを使って麺を炒めたところ、とっても美味しく出来上がりました。
その焼き肉のたれで作った名前のない料理を子供たちと食べながら、「実は材料を買った時777円だったんだよね」という話をして、「でもケチャップ買い忘れちゃったんだよね、ラッキーじゃないよね」と話すと、子供は「でも買い忘れたから新しいレシピが出来たんだし、これってラッキーなんじゃない?」と返してきたのです。
私はその一連の出来事で、すっかり落ち込むことをやめることが出来て、元気な気持ちになりました。
この一連の流れを見ると、外側の出来事によって「気分が変わり」気分が変わったことでエネルギーの方向が変わり「元気」になったわけように見えますが、実は、目覚めた時に「私は元気に今日一日を過ごしたい」と朝に決めていました。
「気分良く過ごしたいと決める」だけで、出来事や現象を引き合わせてくれますし、その転換点は創れる、ということです。
そしてまた、一つの出来事をどのように捉えるかは「気分」によっても変動しますし、「フォーカスする意識」によってどうするかの選択が異なってきます。
ゾロ目であったこと自体に意味を持たせるのは自分自身ですが、どのように解釈して捉えていくかは、「信じているもの」の違いです。
魂の本質を信じていくと、あるべき姿や状態に自然に戻っていきます。
自身も周りに影響を与え・与えられていますが、自分が世界の創造主であるという意識の元過ごしていくと、他者の言動や態度全てが「自分の内なる気付きだ」という視点で生きていくことができ、ネガティブに振り回されることがなくなっていくのです。